こんな問いを抱えていませんか?
- 「自分でやった」のに、なんとなく主体性を感じられないことがある
- 責任を問われると、「本当に自分が選んだのか?」と疑問に思う
- 言語や文法が、私たちの思考をどう縛っているか気になる
「する」でも「される」でもない——
古代ギリシャ語に存在した「中動態」という第三の声から、意志・責任・自由の概念を根底から問い直す哲学書です。
この本は何を変えてくれるのか?
👉 この本は「『能動/受動』という二項対立を超えた『中動態』という視点から、意志と責任の概念を言語・哲学・歴史から解体してくれる本」です。
東京大学教授・國分功一郎氏が、古代ギリシャ語の文法カテゴリー「中動態」を手がかりに、近代的な「意志」「責任」「自由」の概念がいかに構築されてきたかを、スピノザや言語学の知見を交えながら鮮やかに論じます。
読むと何が得られるか?
01「意志」とは何かを問い直す視点が手に入る
02言語が思考を縛る仕組みへの理解が深まる
03責任・自由の概念の歴史的な成り立ちがわかる
04スピノザ哲学へのアクセスが格段に楽になる
3分でわかる要約
① 中動態とは何か——古代ギリシャ語に存在した「能動でも受動でもない」第三の態。動詞の主語が行為の「場」となる表現形式
② 意志という概念の発明——「中動態」が消えた後に「意志」という概念が生まれた。言語が思考の可能性を決定する
③ 責任と強制の問題——「やった」かどうかではなく「どういう状態でやったか」を問う視点が、責任論を根本から変える
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「する」でも「される」でもない第三の声が、思考を解放する。
國分功一郎『中動態の世界:意志と責任の考古学』(新潮文庫)
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読む前と後でこう変わった
BEFORE「意志」や「責任」は当たり前のものだと思っていた。「自分でやった=責任がある」という図式を疑ったことがなかった。
AFTER意志・責任・自由が歴史的に「つくられた」概念だと知り、自分や他者の行動を以前より柔軟に捉えられるようになった。
他の哲学・言語学書との違い
| 本 | 特徴 |
|---|---|
| 『中動態の世界』國分功一郎 | 言語(中動態)を入口に、意志・責任の哲学的考古学を展開。独自の切り口が鮮烈 |
| 『暇と退屈の倫理学』國分功一郎 | 退屈から現代社会と人間の生き方を問う。同著者の代表作で本書と好対をなす |
| 『言語はなぜ哲学の問題になるのか』野矢茂樹 | 言語哲学の入門として平易。本書より分析哲学寄り |
「文法」という意外な切り口から意志・責任を問い直す視点は、本書だけが持つ唯一無二の強み。
こんな人に向いている/向いていない
✅ 向いている人
哲学・言語学に関心がある人
「意志」や「責任」という概念を疑ってみたい人
依存症・ケア・法律など責任論に関わる仕事の人
スピノザやハイデガーへの入口を探している人
「意志」や「責任」という概念を疑ってみたい人
依存症・ケア・法律など責任論に関わる仕事の人
スピノザやハイデガーへの入口を探している人
❌ 向いていない人
すぐ使える実用書を求めている人
抽象的な思考が苦手な人
古代語の文法に全く興味がない人
抽象的な思考が苦手な人
古代語の文法に全く興味がない人
まとめ
「自分でやった」「自分で決めた」——私たちは毎日そう言葉にします。
でも、その「意志」という概念そのものが、言語の構造によって生み出された歴史的な産物だとしたら?
本書は、古代ギリシャ語の「中動態」という失われた文法カテゴリーを手がかりに、意志・責任・自由の概念を根底から問い直す知的冒険です。
読み終えた後、「する」と「される」の間にある広大な世界が見えてくるはずです。
でも、その「意志」という概念そのものが、言語の構造によって生み出された歴史的な産物だとしたら?
本書は、古代ギリシャ語の「中動態」という失われた文法カテゴリーを手がかりに、意志・責任・自由の概念を根底から問い直す知的冒険です。
読み終えた後、「する」と「される」の間にある広大な世界が見えてくるはずです。
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